葬列の先頭、歩くは、少女

 

以下、8割嘘でお届けします。

 

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みなさん、「田舎」という言葉にどんなイメージを持ちますか?

見渡す限りの田園が広がり、割烹着にほっかむり姿のおばあちゃんが庭先で大根を干している。そんな感じでしょうか。

サマーウォーズとか、トトロとか、ああいう景色を想像するかと思います。

私たちが想像する「田舎」のイメージは、ともすれば「おばあちゃんち」と同義ですよね。

夏休みのたびに数日間お邪魔するちょっぴり不便だけどあたたかな生活……みたいな。

でも実際そういう「田舎」が「おばあちゃんち」って人、どのくらい存在するんでしょうか。

 

私の住んでいる街は、田舎の中の都会……といえば解りますか?

めちゃ車社会で、大型ショッピングセンター(最寄駅から車で20分)くらいしか行くとこない、みたいな……

田舎の良さ、的なものが皆無の都市計画失敗系田舎なんですね。

初めて東京に行ったとき私すごくびっくりしたの覚えているんですけど、東京ってすごく緑が多くないですか!?

へたな田舎より絶対自然豊かだよ! 整備された美しい自然!

話を戻して、

私の両親含め、私はこの街から出て生活をしたことがないんですけど、それってつまり「おばあちゃんち」もこの街にあるわけで。

緑に囲まれ、畑があり、畑からとれたてのきゅうりをおばあちゃんが冷やしてくれてて……

そんな経験したことない!! ばあちゃんちまで歩いて10分だし!!

ばあちゃんち、うちより立派なオール電化住宅だったし!!

まあ住みやすくていい街なんですけど(必死のフォロー)

 

そんな「田舎」体験飢えをしている私が幼い時分に経験したほぼ唯一の田舎エピソードを思い出して書いてみようと思います。

もう1回言いますけど、以下、8割嘘です。

 

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小学校に入ってすぐぐらいの時分に、祖母に連れられて祖母の親戚の家に行ったことがある。

家の周りをお堀みたいに用水路が流れて、稲畑が広がっていて、お隣の家までは畑をいくつか越えなきゃいけない、みたいな本当にすごいところ。

私は初めてみるその田園風景に大興奮しっぱなしで、畔から用水路を覗き込んで「この世にはマジの生きてるオタマジャクシがいる!」と感動したことを覚えている。

なぜその親戚の家を訪れたかっていうと、まあ単純な話で、その親戚が亡くなったからだ。

あんまり人の死っていうものを正確に理解しきれていない歳だったし、なによりもその親戚の人とあったこともなかったので、私としては葬儀そっちのけではじめての田舎の探検をしまくっていた。

平屋建ての大きいおうちは、軒先に鳥籠が置いてあって、その中に黄緑と青のインコがいた。

インコの足には長い紐がついてて、昼間は物干し竿にその紐をくくりつけて外を飛ばせてあげるらしいけど、さすがにその日はずっと籠の中にいた。

ちびまるこちゃんで観たようなテレビが居間にあったり、廊下の突き当たりに大きな梅干しのたるが積んであったり……

客間に祭壇と棺がおいてあったのは覚えているけど、結局私客間に入った覚えない気すらするな。

そして、親戚のおじさんおばさんたちは、基本的に人を名前で呼ばない。

「<地名>の」というような感じで、個人を特定する。

「福島の」だったり「川越の」だったり。

ほぼ鋼錬のマスタング大佐よ。

だから私はいまだにその親戚のおじさんたちが私にとっての誰なのかを把握していないんだけど……

祖母も例にもれず「<地名>の」という呼ばれ方をしていたが、私の呼び名は「末の」だった。

私は親戚連中のなかでいちばん年下で、私のひとつ上にあたる親戚は私より10は年上のお姉さんだったから。

だから私は「末の」とか「<地名>の末の」という呼ばれ方。

「末のは何歳になった?」「末のが来たぞ~」なんて言われながらも、久々の幼子親族の登場におじさんおばさんたちはでれでれで、弔事の真っ最中だっていうのにみんながみんなこぞって私にお小遣いをくれたりお菓子をくれたりしていた。

私が玄関先の白い汁が出る雑草をすりつぶして遊んでいるうちに葬儀はつつがなく終わり、いよいよ出棺。

いまは自宅で葬儀をやるお宅も少ないし、葬儀会館やお寺の玄関口に霊柩車が待機していてそこまで棺を運ぶことを「葬列」と言ったりするけど、

その地域では、霊柩車はその地区の公民館のような決められた場所に停めてあって、自宅からそこまで運ばなければならないというような風習があった。

つまり公民館のお隣に住んでいるような家はちょっと歩くだけで済むが、地区のはずれに住んでいる家は、そこまでの道のりを総出で歩き続けなければいけない。

親戚の家はその決まった場所からそう遠い家ではなかったけれど、地区の若い衆がかわるがわるにおみこしのように棺を担いで所定の場所まで行かなきゃいけなかった。

棺をいちばんしんがりにつけて、棺の前に喪主、そのまえに兄弟、子ども、孫と血の濃い順に並んでいく。

そうすると、先頭を歩くのは親族でいちばん血が薄いか立場的に弱い若輩者になる。

つまり私。

あれよあれよと出棺準備がすすめられている間に私は花の入った籠を持たされて列の先頭に立っていた。

葬儀社の方なのか、地区の方なのか、私はその式を取り仕切っている人に案内されて歩きだした。

子どもの歩幅に合わせてゆっくりと進んでいく葬列。

間隔をあけておりんがちりん、ちりんと鳴らされて、畦道に黒いエプロンのおばさんたちが一生懸命にお題目を唱えながら手を合わせて立っている。

遮るものがなにもない陽光が照りつけて、買ってもらったばかりの黒いワンピースの背がぬれた。

あの異様な感じをたぶん一生忘れない。

後ろを振り返るのが怖かった。

後ろには大人が遠足のときみたいに一直線に並んで道路を歩いているんだろうし、そのいちばんうしろには、ばあちゃんの親戚のご遺体が入った箱がある。

ブツブツ聞こえるお題目に、おりんの音。

自分の前にはだれひとりいなくて、さっきまであんなにはしゃいだ田んぼすらも怖かった。

生まれ育った街と同じものがなにひとつない。

自分すらも、いつもと違う黒くて膝が隠れるワンピースにリボンのついたつやつやの靴を履いていて、

ここを現実だと断定できる要素がどこにもない。

私は葬列の先頭を歩くうちにまるでまったく知らない世界に入り込んでしまっているんじゃないか、うしろを歩くのはもしかしたらおじさんたちじゃないんじゃないか、そんなことが脳裏をよぎる。

現実だと認識ができないままに私は公民館までの道を一言も発さずに歩き続けた。

 

残念ながら、私の田舎体験で覚えているのはここまで。

出棺のこともその後火葬場に行ったのかさえも、もうな~んにも覚えてない。

帰りにスーパーでセボンスター買ってもらったことは覚えているけども……

 

まあなんでこんな話したかっていうと本当に意味はなくて、自分の覚えている限りの鮮烈な記憶は全部文章にしておきたいなという気持ち。

あ、でももう1回言っておきますけど、

 

このはなし、8割嘘ですからね。