うるう、うるうと泣いていた

 

 

小林賢太郎演劇作品「うるう」を観劇しました。

4年に1回、オリンピックの年にのみ上演され、映像化はされないという稀有な舞台。

大千秋楽も無事に終わったので、感想をば。

 

いやもうすべてがいい!!!!!!!!

これに尽きるんで、言うことって少ないんですけど。

ぽつぽつと思ったことを覚書代わりに書いておきます。

 

 

 

舞台はたぶん昭和くらいの日本のどこか。

森の奥深くでひとり生活をする青年・ヨイチと、ヨイチと出逢う少年・マジルの物語。

と、ふたりの登場人物がいるように思えるけど、実際舞台上には小林賢太郎がひとり、それと舞台上手にチェリストの徳澤青弦がひっそりと座っている。

この舞台自体は小林賢太郎のひとり芝居で、BGMやSEなんかをすべてチェロの生音で奏でるというすごい手法を取っているんだけど、ヨイチ役が小林賢太郎で、マジルは実際にはそこにはいない。

マジルがいるというテイで物語は進んでいくけど、これぞ演劇の醍醐味じゃないか?

いつも思うが、演劇って作り手と観客の共犯関係が強い。

演者が「このバーには……」と言ったら、観客はバーカウンターがなくてもグラスがなくてもここがバーだと認識する、みたいな。

この演劇は……という小林賢太郎作の演劇やコントは常にその極致。

 

「いつもひとり余る、いつもひとつ足りない」

これがヨイチを表すキーフレーズで、ヨイチは奇数人数のクラスでふたり組をつくったときに余るひとりであり、配布物が自分の前で終わってしまって与えられないひとりなのだ。

そんな生活から逃げるように森でひとり生活をするヨイチのもとへ8歳の少年・マジルが現れる。

マジルは自分もクラスで浮いてしまっているとヨイチにこぼすが、ヨイチが「あまりのひとり」だとしたら、マジルは「選ばれたひとり」なのだ。

31人のクラスで10人ずつの混声三部合唱をすることになり、楽器が得意だからピアノになったりすると話すマジルにヨイチは打ちひしがれるが、マジルはヨイチに「友達になろう」と迫る。

友達ってのは同じ年くらいのやつがなるもんだ、とマジルに素気無く答えるヨイチだが、毎日のように森を訪れるマジルにだんだんとほだされていき、憎まれ口をたたきながらも「もう来るなよ! また明日なっ!」と、マジルがいることが日常のひとつになっている。

まあ内容はこの程度にして、感銘を受けたシーンをピックアップする。

 

私が声を抑えながらも大泣きしたシーンが、ヨイチがマジルを秘密の菜園につれていくシーン。

マジルは森に来るときにいつもヨイチの作るうさぎ捕り用の落とし穴にひっかかるが、ある日ヨイチはマジルに、その穴にマジルが引っ掛かるから僕はうさぎが捕れないんじゃないかとつっかかる。

「僕が欲しいのは友だちじゃなくてうさぎを捕る手引きだ」とマジルを突き放すヨイチ。

 次の日、もうマジルはここに来ないんじゃないかと不安に思っていると、マジルが紙切れを持って森に訪れる。

ここが小林賢太郎の憎らしくもかっこいいところなんだけど、マジルが差し出す(マジルは実際いないので差し出すも何もないが)紙をヨイチがとる瞬間、ヨイチのなにもなかった手の中に紙切れが現れる!

ちょっと伝わらないかもしれないが、マジックとかマイムの要領で、紙を出現させる、なんていう演出をしれっと混ぜてくるし、しかもそれがなんというか、大事な演出じゃない。

だから観客も「おおっ!?」という暇がない。

こういう些細なところにすごい演出を混ぜられるの、かっこいい~……

その紙を見ると、それは書き写した山田耕作の「まちぼうけ」の楽譜。

音楽の授業で「まちぼうけ」を習い、「うさぎを捕る手引きがほしい」と言ったヨイチのために、マジルは楽譜を写してプレゼントしたのだった。

自分のためのプレゼント(しかも自分が求めたことを覚えていた)をもらったヨイチは、ヨイチは、ここからがすごいんだ。

その一瞬で、泣きそうなような嬉しそうな、なんというかしあわせな顔をする。

そして誰も招いたことのなかった自分が秘密に野菜の栽培をする菜園へと、マジルを案内する。

このとき、ヨイチはおずおずと壊れ物に触るかのようにマジルに手を伸ばして、マジルと手をつないで道案内をするんだけど、その手が繋がれた瞬間からの一気に会場が温かくなって血の気が通うような、そうなんというか、運命の輪がまわりはじめたような美しくて劇的で柔らかな瞬間だった。

ヨイチがマジルの手を引いて訪れた菜園は、木目調の舞台の上に、紙製の加湿器みたいな植物があふれかえる。

 

 

こういうの(突然商品をあげるな)

こういうのの白色の植物がいっぱい舞台装置として並び、電球色のライトがあたってやわらかで幻想的な世界になる。

まさに、秘密の植物園というか。

魔法がかかった世界みたいに美しくて、あたたかい。

この光景の美しさと、マジルをヨイチがここに連れてきたということがもう……!

たぶん、そんな泣くようなシーンじゃないんだけど、とにもかくにも美しくて暖かくて、嗚咽を抑えきれないくらい泣いた。

 

この秘密の菜園のシーンがいちばんすきなんだが、「うるう」のすごいところはその伏線回収能力の高さ。

ぜ~~~~~~~んぶ拾う!! ぜ~~~~んぶ拾ううえに、拾ったことを言わない。

だからこっちが気が付かなかったらあの感動はないんだけど……

40年の時を経てマジルと再会し、マジルは48歳、ヨイチは10歳分歳をとって48歳。

ふたりの年齢がそろって、ヨイチの「同じくらいの歳の人と友だちを」というところを回収。

そしてそして最後には、舞台そでにいつも控えていたチェリストを「マジル」にしてしまうという演出……

もう最後嗚咽だよこれ……

 

もう疲れちゃったんで、舞台自体の感想は終わるが、小林賢太郎作品について少し。

私がラーメンズを知ったのはそりゃ、千葉滋賀佐賀だが(面白フラッシュ倉庫ネイティブ世代なので)

ラーメンズのコントをとにかくみてみようみたいになったのはここ数年のことで、かなりビギナー。

ラーメンズきになるな」って言った途端どこに隠れてたんだってくらいの勢いで数人のフォロワー氏が沼から腕伸ばしてきたのは本当に面白かった。

まずコント自体がめちゃくちゃ面白くて、そこからふたりの関係性を教えてもらってヤッッッバ!! となったのが最初。

そこからカジャラだとか、今回みたいな演劇作品がわりと地元でも公演をやってくれていることに気が付いて観に行っているという次第なんですが、、、

小林賢太郎の描く「おいていかないで」の感情表現のうまさが私の心をいつも離さない。

ついでにすきなラーメンズの公演リスト

ラーメンズ本公演おすすめコントリスト - 線香の煙のむこうにいるよ

もアップしておくけれど、やっぱりこの「なにも持っていないけど大切なものを持っている人」と「すべてを持っているけど本当に欲しい物だけどうしても手に入らない人」の関係がとにかくすごい。

すごい以外のことばで言えないのもどかしいーーーーー!!!

 

「うるう」の中でヨイチはしきりにオリンピックの中継ラジオを聴きながら「頑張れ、日本!!」と言い続けるんですよね。

それがまた、この激動の、波乱の2020年に効いてくる。

きっともう東京でオリンピックをやる年に「うるう」が上演されることはないんじゃないかなと思うが、

だからこそ今年観ることができてほんとうによかった。

 

スポーツ競技に興味がなくて、オリンピックもパラリンピックもふーんくらいにしか思っていなかったんですが、ことしは開会式・閉会式にこの作品をつくった小林賢太郎氏がいると思うと、

私が生きてきたちっぽけな20数年の中でも、いちばん特別なうるう年になる予感がしている。