鏡合わせであやとりをしよう

 

 

みなさん、あやとりってやったことありますか?

あやとり。

英語にすると、string figure もしくは cat cradle…… へえ〜……

実は、生まれてからすでに20数年、もう人間生活も板についてきた今日この頃まで、私はあやとりをして遊んだことがなかった。

あやとり紐をつくったことはあるし、あの親指と小指の間を橋渡しするような状況から、中指ですくい上げる、あそこまではやったことがある。

でもあやとりって、教わらないとできない遊びなんだよな。

教わってねえ〜……

なんなら私、ねこふんじゃったも教わってないから弾けねえ~……

幼いころ、いろいろなことの理解の遅い、当時言われていた言葉をそのまま言うなら「知恵遅れの子」だったし、父母は共働きだったから愛情はあれどすごく単純に、私が短時間で理解できる遊びというのが少なかった。

時間をかけて都度都度反復を必要とするような遊びって結構多いもので。

余談だけど、そういうものから遠ざけられた結果と運動音痴が重なると、跳び箱、逆上がり、二重飛びという小学生三種の神技をひとつもこなせない子供が爆誕する。

親に教えられなくても友達と遊ぶ過程で身につけない? って思いました?

友達がいねーんだよ、うっせーな。

 

そんなこんなであやとり童貞だった私だが、先日、あやとりをした!!

ねえ!!

あやとりってめっっちゃたのしくない!?

先日、母方の祖母に会いに行ったところ、祖母がなにやらハギレをたくさん用意している。

何をしているのか聞くと、地域の老人会に小学校から昔ながらの遊びを教える時間をもうけてほしいとの依頼があったとか。

そこで裁縫の得意な祖母はハギレでお手玉をこしらえたり、おはじきを揃えたりしていた。

その中に例のあやとり紐があった。

何の気なしに「あやとりしたことない」と言った瞬間の祖母の驚愕の顔。

幼い頃にかなり理解が遅いタイプの子どもだった私、いまなお手先は不器用だし頭はポンのコツ。

ラーメンズのコントに『シャンパンタワーとあやとりとロールケーキ』というのがあって、小林賢太郎があやとりビギナー(というかもはやあやとりの存在を知らない)役で、片桐仁に手の構え方から逐一指南されていくという内容。


ラーメンズ『TOWER』より「シャンパンタワーとあやとりとロールケーキ」

(ちなみに、ラーメンズの公式チャンネルでは過去100本分のコントが無料でアップされており、かつ一視聴毎に赤十字社への寄付がされるので気軽に観よう!)

ここまでひどくはないが、何度も何度も「小指ですくう!」「はい!」「違う、上から!」などの手順を踏んだ。

祖母も私もへとへとになるくらいの時間をかけ、その日のうちになんと3つもあやとりのわざを覚えられた!

ほうきと、さかずきと、カニ!!

や、やばい……あやとりって楽しい……

成功体験を植え付けられて、祖母が私のために私のすきな赤色のあやとり紐をこしらえてくれたことで私はもうあやとりのとりこに……

「あやとりこ」だわこんなの。

クソつまんねーギャグも言いたくなる、めちゃたのしいんだもん!

あやとり処女を捨ててから、一週間ほど経ったが、いまの時代は本当にいい文明の力がありますね。愛してるぞ、youtube

誰かに教えてもらわないといけないがゆえに、あやとりを知らずに育った少女は、ネットオタクに育ったおかげであやとりをyoutubeで覚えている。

たのしいなあ。誰が考えたんだろ!?

あやとりのすごいところって、最後の一手が決まるまで全容が全く見えてこないことじゃないか?

すごく複雑に絡み合っていた糸が最後にひとつの形に一気に収束するの、カタルシスって感じがして、アドレナリンとかなんかそういう物質が脳にドパドパ溢れる……

あやとりキメてみんなでハッピーになろう。

 

そんなこんなで会社にあやとり紐を持っていって、ひとりで昼休みにちまちまあそんでいると、上司たちに心配されるされる。

そりゃ若手社員がキャイキャイひとりで紐遊びしてたらそりゃ怖がるわ。

キャイキャイは言っていないけど、相当にまにましながらひとりでやっていたらしい。

あやとりはまったって言ったらみんなわざを教えてくれるので、いい職場だなー。ブラックだけど。

 ネットに友達いるし、ツイッターやら通話でいつでも近くにいるつもりでいるんだけど、あやとりはそばにいてくれないとできないんだよな。

なんかそういう体験って、逆にまれになったような気がする。

遊び相手は近くにいないけどネットをつなげると仲間がいるから淋しくない(しかも今の時代たいていのことはネット上で出来る)という感覚が、あやとりによって、ネットをつなげば仲間はいるけど、あやとりは目の前にいる生身の人間としか出来ない、という感覚が……

テレビ通話してだれが真っ先にはしごつくれるか、とかなら出来るか……

はたして私にふたりあやとりが出来る日はくるのか……!?

葬列の先頭、歩くは、少女

 

以下、8割嘘でお届けします。

 

*  *  *

 

みなさん、「田舎」という言葉にどんなイメージを持ちますか?

見渡す限りの田園が広がり、割烹着にほっかむり姿のおばあちゃんが庭先で大根を干している。そんな感じでしょうか。

サマーウォーズとか、トトロとか、ああいう景色を想像するかと思います。

私たちが想像する「田舎」のイメージは、ともすれば「おばあちゃんち」と同義ですよね。

夏休みのたびに数日間お邪魔するちょっぴり不便だけどあたたかな生活……みたいな。

でも実際そういう「田舎」が「おばあちゃんち」って人、どのくらい存在するんでしょうか。

 

私の住んでいる街は、田舎の中の都会……といえば解りますか?

めちゃ車社会で、大型ショッピングセンター(最寄駅から車で20分)くらいしか行くとこない、みたいな……

田舎の良さ、的なものが皆無の都市計画失敗系田舎なんですね。

初めて東京に行ったとき私すごくびっくりしたの覚えているんですけど、東京ってすごく緑が多くないですか!?

へたな田舎より絶対自然豊かだよ! 整備された美しい自然!

話を戻して、

私の両親含め、私はこの街から出て生活をしたことがないんですけど、それってつまり「おばあちゃんち」もこの街にあるわけで。

緑に囲まれ、畑があり、畑からとれたてのきゅうりをおばあちゃんが冷やしてくれてて……

そんな経験したことない!! ばあちゃんちまで歩いて10分だし!!

ばあちゃんち、うちより立派なオール電化住宅だったし!!

まあ住みやすくていい街なんですけど(必死のフォロー)

 

そんな「田舎」体験飢えをしている私が幼い時分に経験したほぼ唯一の田舎エピソードを思い出して書いてみようと思います。

もう1回言いますけど、以下、8割嘘です。

 

*  *  *

 

小学校に入ってすぐぐらいの時分に、祖母に連れられて祖母の親戚の家に行ったことがある。

家の周りをお堀みたいに用水路が流れて、稲畑が広がっていて、お隣の家までは畑をいくつか越えなきゃいけない、みたいな本当にすごいところ。

私は初めてみるその田園風景に大興奮しっぱなしで、畔から用水路を覗き込んで「この世にはマジの生きてるオタマジャクシがいる!」と感動したことを覚えている。

なぜその親戚の家を訪れたかっていうと、まあ単純な話で、その親戚が亡くなったからだ。

あんまり人の死っていうものを正確に理解しきれていない歳だったし、なによりもその親戚の人とあったこともなかったので、私としては葬儀そっちのけではじめての田舎の探検をしまくっていた。

平屋建ての大きいおうちは、軒先に鳥籠が置いてあって、その中に黄緑と青のインコがいた。

インコの足には長い紐がついてて、昼間は物干し竿にその紐をくくりつけて外を飛ばせてあげるらしいけど、さすがにその日はずっと籠の中にいた。

ちびまるこちゃんで観たようなテレビが居間にあったり、廊下の突き当たりに大きな梅干しのたるが積んであったり……

客間に祭壇と棺がおいてあったのは覚えているけど、結局私客間に入った覚えない気すらするな。

そして、親戚のおじさんおばさんたちは、基本的に人を名前で呼ばない。

「<地名>の」というような感じで、個人を特定する。

「福島の」だったり「川越の」だったり。

ほぼ鋼錬のマスタング大佐よ。

だから私はいまだにその親戚のおじさんたちが私にとっての誰なのかを把握していないんだけど……

祖母も例にもれず「<地名>の」という呼ばれ方をしていたが、私の呼び名は「末の」だった。

私は親戚連中のなかでいちばん年下で、私のひとつ上にあたる親戚は私より10は年上のお姉さんだったから。

だから私は「末の」とか「<地名>の末の」という呼ばれ方。

「末のは何歳になった?」「末のが来たぞ~」なんて言われながらも、久々の幼子親族の登場におじさんおばさんたちはでれでれで、弔事の真っ最中だっていうのにみんながみんなこぞって私にお小遣いをくれたりお菓子をくれたりしていた。

私が玄関先の白い汁が出る雑草をすりつぶして遊んでいるうちに葬儀はつつがなく終わり、いよいよ出棺。

いまは自宅で葬儀をやるお宅も少ないし、葬儀会館やお寺の玄関口に霊柩車が待機していてそこまで棺を運ぶことを「葬列」と言ったりするけど、

その地域では、霊柩車はその地区の公民館のような決められた場所に停めてあって、自宅からそこまで運ばなければならないというような風習があった。

つまり公民館のお隣に住んでいるような家はちょっと歩くだけで済むが、地区のはずれに住んでいる家は、そこまでの道のりを総出で歩き続けなければいけない。

親戚の家はその決まった場所からそう遠い家ではなかったけれど、地区の若い衆がかわるがわるにおみこしのように棺を担いで所定の場所まで行かなきゃいけなかった。

棺をいちばんしんがりにつけて、棺の前に喪主、そのまえに兄弟、子ども、孫と血の濃い順に並んでいく。

そうすると、先頭を歩くのは親族でいちばん血が薄いか立場的に弱い若輩者になる。

つまり私。

あれよあれよと出棺準備がすすめられている間に私は花の入った籠を持たされて列の先頭に立っていた。

葬儀社の方なのか、地区の方なのか、私はその式を取り仕切っている人に案内されて歩きだした。

子どもの歩幅に合わせてゆっくりと進んでいく葬列。

間隔をあけておりんがちりん、ちりんと鳴らされて、畦道に黒いエプロンのおばさんたちが一生懸命にお題目を唱えながら手を合わせて立っている。

遮るものがなにもない陽光が照りつけて、買ってもらったばかりの黒いワンピースの背がぬれた。

あの異様な感じをたぶん一生忘れない。

後ろを振り返るのが怖かった。

後ろには大人が遠足のときみたいに一直線に並んで道路を歩いているんだろうし、そのいちばんうしろには、ばあちゃんの親戚のご遺体が入った箱がある。

ブツブツ聞こえるお題目に、おりんの音。

自分の前にはだれひとりいなくて、さっきまであんなにはしゃいだ田んぼすらも怖かった。

生まれ育った街と同じものがなにひとつない。

自分すらも、いつもと違う黒くて膝が隠れるワンピースにリボンのついたつやつやの靴を履いていて、

ここを現実だと断定できる要素がどこにもない。

私は葬列の先頭を歩くうちにまるでまったく知らない世界に入り込んでしまっているんじゃないか、うしろを歩くのはもしかしたらおじさんたちじゃないんじゃないか、そんなことが脳裏をよぎる。

現実だと認識ができないままに私は公民館までの道を一言も発さずに歩き続けた。

 

残念ながら、私の田舎体験で覚えているのはここまで。

出棺のこともその後火葬場に行ったのかさえも、もうな~んにも覚えてない。

帰りにスーパーでセボンスター買ってもらったことは覚えているけども……

 

まあなんでこんな話したかっていうと本当に意味はなくて、自分の覚えている限りの鮮烈な記憶は全部文章にしておきたいなという気持ち。

あ、でももう1回言っておきますけど、

 

このはなし、8割嘘ですからね。

永遠の少女とマジョリカマジョルカのおはなし

 

「マジョリカ マジョルカ!」

 

これは魔法の言葉。

美の女神が、美しさを求め自力で手に入れた鳥にかけた秘密の呪文。

 

マジョリカマジョルカというブランドのコンセプトはエンブレムにもなっているそれだ。

 

私はこのマジョリカマジョルカというブランドがだいすきだ。

パッケージデザイン、ネーミング、なによりも世界観。

すべてが私の「化粧」という概念を形作る要素の核になっている。

マジョリカマジョルカがだいすきだから、「だいすきだ」っていうだけの内容です、今回。

 

*  *  *

 

田舎のドラッグストアにもマジョリカマジョルカが並ぶようになったのは、たぶん2005.6年くらいだったと思う。

当時私は小学校高学年で、お洒落やコスメが少しだけ身近になってきて、クラスの女の子たちはこぞって色付きリップを筆箱に隠していた。

私は陽の当たらない席の生徒だったので、ニベアの色付きリップ(クラスの日向にいる子ほどメイベリンのベイビーリップを買い与えてもらっていたのをよく覚えている)を親に内緒で買って、筆箱に忍ばせていた。

 

当時小学生の私からすれば、女子高生のお姉さんたちなんていうのはキラキラギラギラの、世界でいちばん美しくて強い存在で、お姉さんたちのポーチから流行は生まれると信じていた。

私の身近な「お姉さん」も例にもれずきらきらと輝く女子高生で、かぼちゃパンツみたいな形の大きなポーチにぎゅうぎゅうにコスメがつまっていた。

100均のアイライナーとアナスイのチークが同居していたり、チャコットのバカデカいパウダーがごろんと入っていたり、ニベア缶くらいのサイズのヘアワックスが入っていたり……

様々な記憶があるが、しかし確かに「お姉さん」たちの強力な味方こそ、安くて可愛いマジョリカマジョルカだったはずだ。

正味、私が実際にユーザーだったわけではないから全国のお姉さんたちがどうだったかは解らないけれど……

(身近なお姉さんはポーチに、なぜかラップで包んだラッシュのミツバチマーチの角切りを入れている変なひとだったので参考にするのは間違っているかもしれない……それともそういう流行があったんですか!? 教えて!)

でも私は憧れの、輝くお姉さんたちの、その、ともすれば海賊の宝箱より魅力的な化粧ポーチの中身の大多数を占める、キッチュでキュートでちょっと毒のあるマジョリカマジョルカの虜になったのだった。

 

なかでも印象的なのは2010年発売のマジョロマンティカ。

マジョリカマジョルカ初のフレグランスアイテムで、いまなお恋コスメとして絶大の人気を誇る香水。

赤い小瓶に入ったとろとろの香水を魔法のロッドみたいなスパチュラで肌に落とすあの感覚……!

たった一滴で、あなたの中に眠っていた“女の子”を呼び覚ます、甘い甘い魔法の媚薬。 

永遠に「女の子」でいたいのなら、この赤い瓶をいつもそばに……

 ……アカデミーキャッチコピー賞受賞だ、こんなもん。

永遠の少女性、恋の媚薬、赤い瓶……エッセンスとテーマとモチーフの合致。

超どうでもいい思い出語りをするなら、マジョロマンティカを初めて手にしたのは中学生当時、憧れていた先輩に誕生日プレゼントでいただいた思い出……

毎朝ハンドタオルに一滴垂らして学校に持って行った……そんなマジョロマンティカみたいに甘酸っぱい経験もあったな!!! ガハハ!!

 

中学生のころにはズップリオタクだった私にとって、マジョリカマジョルカのコスメは「たしかに恋だった(※同人向けお題配布サイト、永遠のエモ)」と並ぶオタク心をくすぐる文字羅列の宝庫だった。

なぜなら、マジョリカマジョリカのコスメそれぞれにつけられた色名がとても凝っていたからだ。

モノノ怪」に芸術を学べば薬売りさんと同じラベンダーカラーのネイル(アーティスティックネールズ VI311 魔術)を買い、

WILD ADAPTERに人生狂わされれば、ネイル(アーティスティックネールズ BL501 海の底)を買い、

東京バビロンに執着の意味を教えられれば、アイシャドウ(シャドーカスタマイズ SV821 東京の夜)を買い、

椿屋四重奏以外の曲を聴く暇がないほど椿屋を聴けば、アイシャドウ(シャドーカスタマイズ RD422 熱情)を買い……

うるさい!!!!!!!

私のことを気持ち悪いと思うか!?!?

「たしかに恋だった」と「マジョマジョのコスメラインのネーミング」で同人活動をしたことがない者だけが私に石を投げろ!!

さもなくばもう少しだけこの昔語りにつきあってくれ。

 

マジョリカマジョルカ史上最大の炎上とも言えた、路線変更の極致広告が発表されたのは2017年。

簡単に言うと、それまでのゴシックであったり、カラフルな尖った広告から、インスタグラムユーザー向けの「ターゲット層」に合わせた広告というニュアンスで、いままでとは全く違うタイプの広告を打ち出したという一件だ。

それまでのマジョリカマジョルカの世界観はと言えば、悪く言ってしまえば過剰装飾、よく言えばマザーグースの女の子の構成要素……

マジョリカマジョルカが追いかけるのは流行とコンサバではなく、個性派を恐れないおとぎ話の世界観。

たしかにあの広告をみたときの衝撃たるや……!

(気になる方は調べてみてくれ。「マジョマジョ  広告 炎上」とかでたぶん出る)

あの衝撃の正体はどちらかというと「私たちを振り落すな」だといまになれば思う。

白雪姫、人魚姫、アリス、トランプ、サーカス、お砂糖、媚薬、

そういう「永遠の少女性」の魔法をまだ解かないで。

魔法少女が変身コンパクトをかばんに忍ばせるように、無敵の魔法道具がポーチの中にあることで日々の社会を生き抜かせてくれよ。

少女性はトランキライザーなんだよ。

そういう切実な「おいていかないで」の感情の末路だった。

マジョリカマジョルカ」と唱えて、私が私のなりたい私になるための魔法をかけて欲しいのに、打ち出されたキャッチコピー

私にもかかる魔法

最初からそうだし、私「に」かかる魔法だよ!!!!

にも、ってなに!! いまはアタシとアンタの話をしてんのよ!!

他の女の名前出さないで!!!

 

炎上した件を語りたいわけではないので、話を戻す。

私にとってマジョリカマジョルカは永遠の魔法。

精神と身体の年齢が見合わなくなって夜中に泣いてしまっても、マジョリカマジョルカは永遠に、私が望む限り、少女でいることを肯定してくれる。

レースとリボン、ピンクもすきだけど赤がすき、くまのぬいぐるみもすき、うさちゃんもすき!

ドールになりたいし、お姫様にも女王様にもなりたいし、オデットにもオディールにもなりたい!

マノンレスコー、ファムファタル

毒林檎色のリップを塗りたい日もある、かすみ草色のネイルに爪先を染めたい日もある。

そういうおとぎの国を生きたい心を、まだ捨てられないし、捨てたくない。

 

顔に見合わなくても、上背が伸びても、年々指先から若さが失われても、

ずっと、もっと、永遠に、少女でいたい。

 

マジョリカマジョルカ

 

マジョリカマジョルカ

 

今日も明日もそう呟いて、重い鉄製のドアを開いて、私は会社に向かう。

 

 

 

 

めちゃどうでもいい話ですけど、

今年の冬、マジョリカマジョルカのリップエッセンスバームがいちばん唇に効きます。

よかったら買ってね。

最初は、ちょき

 

 

突発的につくりました。

いつもそうです。

単位が危ないのに(むしろアウトだったのに)突発的に京都に行ったり、突発的に同好会作ってみたり、突発的に宗教の勉強してみたり、そういう生き方をしてきました。

でもどれも長続きはしなかったです。

 

 

人生だけが長続きしてしまっています。